2010年9月3日

クリストファー・サン師メッセージ6(マラキ書4章1-6節)その13

 この稲妻が出て閃くかのように全ては一瞬のうちに定められて行く。もう肉体、この私たちの目に見える時代は終わるということです。だから聖書は言います。今が救いの時なんだと。今は恵み時、今は救いの日だ。

 ですから、明日とか明後日とかそういうことではなく、今イエス様を受け入れて頂きたいと思うんです。誰も、この地上の誰も、私たちが明日まで生きるなんて保証する人はいません。もし皆さんが今日、命を落とすようなことがあるならば、大変なことであります。

 私たちは一体どうやったら救われるんでしょうか。私たちは、三つのことについて分かち合いたいと思うんですが、まずは救われるために悔い改めをするということであります。悔い改めるというのは、神様の方向に向かって私たちの歩む道を変えるということであります。態勢を変えるということ。神様の方向に私たちの向きを、方向を変えるということであります。それだけです。

 そのことの故に、イエス様を受け入れて頂きたいために今日、私たちは皆さんを前にお招きしたいと思うんです。どうか私を赦して下さい。私の罪を赦して下さい。イエス様こそが私たちの全ての今まで犯して来た罪を赦して下さる。皆さんの罪を赦して下さる。そして神様はイエス様にあって皆さんを新しい存在に変えて下さる。

 二番目でありますが、イエス様を信仰をもって受け入れるということであります。信仰によって来なければなりません。なぜなら神様の恵みの不思議、恵みの奥義、愛の奥義、救いの奥義を全て一夜にして知るなんてことは出来ないんです。

 皆さんがまるで、車の構造が一体どうなっているのか分からないように、分からないことがあったとしても、車にキーを入れて走らせるかのようにして、イエス様を本当に受け入れる。車にキーを差し込むならば車は動きます。信仰とは正にそのようなものであります。ただ単純に来て、イエス様というお方を受け入れる。イエス様は皆さんの元に来て、皆さんの人生を引き上げて下さって、新しい方向に向かって歩ませて下さる。

 そして三つ目のことでありますが、公の場でイエス様を告白して、毎日イエス様と一緒に歩むということであります。イエス様はこんなことを語られました。ですからわたしを人の前で認める者は皆、わたしも天の父の前でその人を認めます。しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前でそんな者は知らないと言います。

 イエス様は苦しみの道を歩まれたその最後に、十字架上で公の場で、多くの人の見ている前で命を投げ出して下さいました。ですから、私たちは公の場で前に来てイエス様を受け入れるということをさせて頂きたいんです。

 イエス様は皆さんのその魂を決して死なせることはない。やがて皆さんも時が来たら死ぬでしょう。魂が上に上げられるということがあるでしょう。でも、決して死なない。この魂は神様の守りの中において生き続ける。やがて死ぬ時が来るでしょう。きっと。神様の御座の前に私たちは立ちます。そして素晴らしい光景を神様と共に見る。

 なぜこの素晴らしい恵みを受けなかったのかということがないようにして頂きたいと思うんです。神様の御座の前に立った時にはもう遅いですから、ですから今この時です。聖霊様は皆さんの心の中に語っておられるでしょう。私にも必要だと分かっていらっしゃると思います。ひょっとしたらこのような機会がもうないかも知れません。一緒にお祈りしたいと思います。(終わり)

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